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ムジカジャポニカと私

06-06-21_17-05~00

ムジカジャポニカ正面看板に正体不明のキノコが生えた。

なんと精悍なる眺めであろうか。
大阪はキタの神山町。
一大サイケ屋敷を目指す愛と食の首都ムジカジャポニカ厨房にて、
ほくそ笑む今日である。
至れば5年間も20年間のようであったり1年の間だったりする。

色んなひとたちに来ていただいた。
あいたいひとにもあえた。
いなくなってしまったひともいる。

日本にとって痛ましい結果が続いている震災後
場所というものを考えるようになった。

今は昔。東梅田から神山町に続く道は
色とりどりのカラーズやナンジャン、
シネマヴェルテやミュージアムスクエアがあり
ちぃと芸術ぶった勿体ない大人の場所だった。
長年ミナミはアメリカ村で働いたが、観光地になり
馴染みの店が消え、神山周辺が面白くなった。
当時のアメ村は音楽をやる人間に適した場所で、
80年代はフリーマーケットや古着屋にバンドマンが集中した。
レインドッグスに居たのは97~98年頃だと思う。
99年にはハードレインが開店したのだから。

05年の10月にハードレインを辞め
06年の7月23日(海の日)にムジカジャポニカが開店した。

一介のバンドマンが大層に店を作りたかった訳では無い。
我がと大切なものを繋ぐのが無くなったからだ。
音楽かハードレインの店長か選べと云われた迄の事である。

無論、音楽を選んだ我は両方を選ぶべく「場所」を作る羽目になる。
誰かが作ってくれた場所に便乗して収まるものならそれで良かったのだ。
個人の音楽活動と店の同時進行は覚悟通り難であった。
バンドがツアーに戻れたのは開店2年後になる。

ムジカジャポニカに出演するひとたちを尊敬している。
覚悟を持って音楽をしている素晴らしいひとたちが主だ。

目の当たりにしながら動けぬものであったり
何より誇れる大切なものであったりする。

この場所が好きだ。大切なものを学んで育んだ場所だから。
集うひとたちも愛しい時間を費やしてくれる。
だからこそ場所という拘りがある。

この拘りを捨てねばならなかったひとがいることに胸が痛む。
野菜を選ぶことも胸が痛む。
この痛みは日本人全てのものである。

結局「場所」は個々の人間に刻まれた歴史であって、
「場所」が場所ではないもかもしれないが。
既に上記に書いた神山町周辺の店はハードレインを残すのみである。
今は日本の其所かしこに無くなった場所がある。

色んな場所に私の愛しいひとがいる。
私はムジカジャポニカにいる。
うたってゆくのだ。どこまでも。

感謝と日本を祈ります。














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プロフィール

seponyuunagi

Author:seponyuunagi
夕凪というバンドにて
曲を作ったり唄をうたったり、
踊ったり叩いたり、
ぶーたれたり
きゃっきゃ担当の御年頃。
御機嫌さんは
旨い御飯と酒がある処。
夕凪web>>

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