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『春。空のともだち』


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3年前の3月27日。私の大切な友達が逝ってしまった。
朝方耐えれず、梅田から十三に向かう。
たまたま夕凪のドラマー藤山が来阪中で、
勘を頼りに私がBAR雑葉に居ることを察して来てくれた。
逝ってしまった可愛い人は夕凪の録音や、
私のソロ共演に関わってくれたピアニストで素敵な唄を唄う。
ふたり抱き合って、わんわん泣いた。
その時戦慄が走る。
人間ではない雄叫びが聞こえてきたのだ。
その人は本当に、ぼおおお〜と泣いた。
我々と一緒に泣いてくれたのだ。
しかし本当に、ぼおおおお〜〜と泣いた。
リアルジャイアンを見て我々の涙も一旦するる、と治った程だ。

その人の出逢いは15年程前に遡る。
私が店長を務めていた梅田ハードレイン。
山川ノリヲことギターパンダのライブ時に現れる
ガラの悪い酒量が半端ない集団。
コールアンドレスポンスが激しいギターパンダに
嬉々として全力で応えていた。
当時のギターパンダ客は全体的にガラが悪く豪快で憎めない。
筆頭にその人、彼女が居た。
阿保みたいなパンダ手ぐるみが羨ましくて強請ってみたのが始まり。
快く手ぐるみを私にくれた。
そこからギターパンダ時には一緒に遊んで貰い.
ハードレインを辞める時は残念だと悲しんでくれた。
ノリヲさんから御夫婦でBARをしている、と言う話だけは聞いていた。
ムジカジャポニカを初めて、すぐ出演してくれたギターパンダ時に、
本当に良かった、と祝うてくれて、
それが嬉しゅうて店に行きたいと言うたに。
ハードレイン時から教えんのだ。
「流れもんで御座んす」「道端で御座んす」
一点張りにて、強行十三にて捜索。
山川ノリヲのチカラを借りてBAR雑葉を発見。
本当は、人様の店で、自分の店を宣伝したりしたくなかったのだ。
なんと粋な御夫婦だろう。
ギターパンダから知ったに、マニアックの宝庫、
フランクザッパの邦名「雑葉」
店名を聞いて当然惹かれた。
プログレやサブカルに精通した我がオアシスになり、十余年が過ぎた。
繋がる人達が増え、ムジカジャポニカ周年「海の日」は
毎年御夫婦で店を休み手伝うてくれる。
自分が企画す「服部緑地RAINBOWHILL」の内容を最初に報告し、
同じく服部緑地野外音楽堂での「春一番」も、
おにぎりを作って野次を飛ばしつ全部一緒に観てくれた。
音源の仮が出来れば聴いて貰い、
ツアーから帰れば報告がてら音源聴かせたりして。
日常が密接。

彼女は怖ぇお母ちゃんとして酔う男どもに喝を入れる日々だったが、
私をとにかく甘やかした。
元々女性を讃える人ではあったが、私は怒られたことが無い。
只管褒めて愛でる。
そして心配する。

ある時期、彼女に余計な心配と同調を与えてしまうことに気付く。
一緒に悲しんだり、どないしよもない状況に腹を立てさせてしまうのだ。
優しすぎる人だった。

いかんいかん。
お母ちゃん、へーこは大丈夫やから。

逢うたび大丈夫か、と心配す彼女に、
「大丈夫やで」と応える度に、年々大丈夫になってきた。
言霊とは不思議なもんだ。
へーこが幸せならええねん。

人様に紹介してくれる時に
「私が一番惚れてるオンナや」
その度背筋を伸ばしてきた。
ほんまに愛でて貰うた。

お互い往き来しつつ、沢山の話をした。
一緒に泣いたり、雑葉に踏み込んできた
ヤクザなママ喧嘩に参戦したこともあった。
お母ちゃんの啖呵には惚れ惚れしたものだ。


突然小さくなった、お母ちゃんには驚愕した。
苦しそうなのに度々開く眼光の鋭さは、復活を期待せずにはおれん。
しかし痛い、云うてた脚。
こんなんなってたんや。
最初に入院したのは「服部緑地RAINBOWHILL」の次の日。
珍しく冷や汗かいてた、お母ちゃん。
こんな脚で坂道ばかりの服部緑地野外音楽堂に来てくれてたんや。
去年の夏に逝ってしまった、大好きなエンディさんを思い出す。
我慢する人は嫌や。痛いって云うたらいいのに。
なんでここまで我慢すんのや。
嫌やあ。
何故かしら。お母ちゃん綺麗な人やったんやって、改めて思うた。
ほんま綺麗やな。

そんな状況でも心配すんのね。
お母ちゃん、へーこは大丈夫やから。

云うたからには、しっかりせねば。
ツアー後にて家はぐっちゃらこ。
「先ず自分の事を、ちゃあんと、せんと」
お母ちゃんの、口癖。
お掃除、お洗濯、夢の健康食。

お母ちゃんが喜ぶであろう、みうらじゅんグッズ、
相方に授かったドリームキャッチャー云々。
とにかく、お母ちゃんに似合わん病室を阿保みたいにせんと。
お母ちゃん好みの、サブカル室にしてやる。

着く寸前に逝ってもうたわ。
わざとやな。
燦然と輝く、みうらじゅん監修「ツッコミ観音」どないしたらええの。

まだ温かいお母ちゃんに縋って泣く。

とにかく明るく通夜を迎えようぜ。
お母ちゃんは気遣いのひと。
めそめそ、すんなやああ、と云う筈やねん。
そないな通達をした割に、
結局最後の最後まで居座り、
入院先に自分の音源を持ってったと聞いて唄うては泣き、
お母ちゃんの手に頭ぐりぐりして泣き晒した。

悲しんでるのは、自分だけでは無いのになあ。
お母ちゃんを悼むひとに、
お父ちゃんに申し訳なかった。

しかし、よう頭撫でて貰うたなあ。
抱きしめて貰うたなあ。

せやけんど、今回は一緒に泣いて貰えんのだ。
ぼおおおおおおお〜〜
自分がジャイアンになっても致し方無い。

しかし約束したがな。
お母ちゃん、へーこは大丈夫やから。

家に辿り着き、部屋を見渡せば、其処彼処が、
お母ちゃんから貰うたもので構成されていた。
御夫婦で何処か行く度に、
これは、へーこの好きそうな風呂敷やあ、
和柄の面白いもん、筆や、無添加調味料、
美味いパンやらを見つけては、
沢山買ってきてくれた。
内緒やで、云うてな。
ムジカジャポニカも然り。
全部が、お母ちゃん。

お母ちゃん。約束したこと、
全て遂行するよう努力します。
あんがとうあんがとうあんがとう。

何年前やろか。あれは「春一番」か。
服部緑地野外音楽堂の芝生で、
『ち○こ、ま○こ、ち○こ、ま○こ、ち○こ、ま○こ、
わはは、わはははははは〜〜』
叫びながら、芝生の坂道を豪快に転げていく、元気なお母ちゃん。
お父ちゃんは只、青空を眺めていた。

お母ちゃんは、たまあ、に糞下品。

さてと泣くだけ泣いたら雑葉に行こう。
お父ちゃんとお母ちゃんが迎えてくれるのよ。



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『メンヘラエンジェルス登場。春の祭典2016』

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春は糞忙しい。
口をアングリーナと開けとる間に『祝・春一番2106」も終了。
伴う同時進行の新曲やらソロライブやら、
お仕事満載の春に今年は引っ越し騒動。
頭の角度を変える為に軽く考えてた引っ越しだが、
今恐ろしい程の荷物に魘されている。
よくよく考えれば家出したのが17歳。実家より永く住み込んだ部屋は、
んまあ良くも悪くも想い出盛り沢山のブツがある。
いちいち取って置けるスペースが曲者であり、
日々の忙しさに、何でもぶち込む癖が悪い。
そのツケを払いまくっておる4ヶ月。
引っ越しを思い立ってから軽トラ二台分のゴミは出た。
所詮ゴミ。
覚えとるもんは覚えとるから、もう要らんのん、と気付くまでの4ヶ月。
あと一週間に迫る引っ越しに、引っ越し日前日のソロライブ。馬鹿太郎。
物事をフィーリングで考えて辻褄を合わす人生。
結果何とかする為に、どこかで奮闘せねばならん。
今は糞地獄の真っ最中であるからして。一瞬逃避。

私の逃避は文字にある。
「詩」を書くのが困難と云い腐りて、戯言を書くのは精神解放。
只の散文書きなのであろう。そういえば子供の頃も煮詰まったら新聞や、
広辞苑を端から端まで読み倒す、という『活字中毒者』であった。

後は煙草に呑み食いに。今は独りギターを持ちて唄うという技も取り入れ、
至って平和主義であり、夕凪には生産的な解消法である。

さて世の中では、そんな解消では自分を活かしきれん輩が居るという。
それが『メンヘラ』『ヤンデレ』というお嬢さん方である。
これは御近所の巨乳BARのお嬢さんから教えて戴いた。
付合う年齢層であろう。彼女は新しい言葉に敏感であり、
おばはんは色んな言葉を教えて貰う。

只おばはんも一応若手さんには付合うており、
誰でも知ってますうーん、と
云う言葉には解らなくてもついて行く、と云う、
豪快な知ったかぶり愛想を発揮し、実は理解する迄時間がかかる。
正しい日本語ではない造語は調べん。
必ず野暮な正直者が『それってどういう意味ですか〜』と
彼女に問うからだ。おばはんは逃さず意味を理解する。

ここからは引用..................................................................................................
メンヘラーとはメンタルヘルスを略したメンヘルに、
英語で「~する人」といった意味にする接尾辞“-er”をつけたものである。
ただし、この語句に関しては、
メンヘラと語尾を延ばさずに用いるのが一般的となっている。
ちなみにメンタルヘルスとは「心の健康」という意味
(心の健康管理ならメンタルヘルス・マネジメント)だが、
メンヘルと略した場合、主にうつ病や精神病、
神経症、心身症といった心の病をさす。
つまり、メンヘラとはそういった心の病を患っている人を意味する。

1、過去のトラウマを話したがる
2、いつも何かに悩んでいる
3、「今吐いちゃったという」(不健康自慢)
4、自慢話が多い
5、自分の意見を言わない
6、不平、不満をぶつけるだけ
7、気持ちの浮き沈みが激しい etc................................................................................

思春期には有りがちではないか、と思う項目ではあるが、
とかく音楽や芸術関係には多いのかもしれん。
おばはんは彼女達を沢山知っている。

面倒臭い彼女達は、何が欲しいのか、人様と違う特別感を求める。
それが残念ながら「メンヘラ」症状なのである。
欲しがるわ、虚言証だわ、すぐ死にたい云うわで。
えらい目ぇに遭うてしもた。

残念ながら見目形が優れているお嬢さん方が多く、
何故に勿体ない、と、おばはんは思うのであった。

タチの悪いのは所謂リストカッターなお方。

あああ何もせんのに何かのせいにしくさりやがってな。
寝る間を惜しみ、よう頭使うて、よう働き、
よう呑んどる小市民を何故羨ましがるのか。

さて何故にそないな話になったかと云うと。
最近皆さんが気付いて、敢えて云わなかったらしい事柄があるらしい。

私の左手首には無数の切り傷。
段違いに、真横に伸びる生々しい線はまさにリストカッター
『へえこさん、気丈にしてはんのに、ああああ....』
なんつて思うてた方がいらっしゃるそうな。

ちゃうねん。厨房あるあるですねん。
犯人は中華鍋。
左手で鍋を振り、右手で塩やかんやを掴み、
おっと滑るん。
じゅっ、と軽く音がする。瞬時の火傷である。
厨房人間、火傷をしても鍋は降り続ける習性にて、
一瞬の痛みは軽く忘れる。
気が付けば手首に立派な線がつく。

そんな傷が消えた頃、また新たに火傷。
これは仕方ない厨房人間の定であるからして。

だから、ちゃうねん。
訂正しようと大幅に話逸れてみた。

春。逃避癖。

************************************************************************

メンヘラ、ヘルス、ヘルスエンジェルス......
あああああああああ。
平和。
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『女の可愛さを讃えよ。2016の巻き』

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子供の頃から愛想のある子供であった。
三つ年上の姉が失態を繰り返し親に折檻を受けるのを
要領よく覚えて『これをやれば叱られる』ことを覚える。
と云えど時は昭和。
人様が干す梅干しを盗んでは近所のおばはんに殴られる。
陽気な幼児虐待が並びの家で容赦なく行われていた時代。

96歳の大往生で去った婆さんは現実的な人で『あんたは可愛いないけど、
愛想と要領だけは良いから、それで一生やれる筈』とよう云うたものだった。

自分が一般的に『可愛い』ではない事に気付いたのは幼稚園の頃である。
「白雪姫」を園児達でやる事になったのだが、皆が白雪姫をやりたがるので、
先生が独断で決めたのである。今なら問題になりかねん。
配役は子沢山の時期であり、ふたりずつであったが、
極端に可愛い顔立ちのふたりが選ばれた。
自分は14人の小人の役柄であった。
『美』というものが生まれ兼ね備えられた役得である事に気付いた一件である。
後に白雪姫たちは可愛さ故に自動的超ヤンキーに成長するのだが。
80年代の悲哀である。

要領と個性さえあれば乗り切れる。婆さんの言いつけ通り、
面白い事に飛びつきて個性を伸ばせる場所に行き着きた。
多々デカくても、目鼻がバランス以下で小さくとも、
個性で乗り切って来た人生。
雰囲気作りは何より大切。
人よりちょいと唄が唄えるのも役得であった。

そんな私を『可愛い』と逢う度に連呼してくれる男が居る。
30年を越える音楽活動、すっかりベテランの域に達した、
割礼の宍戸幸司、その人である。

宍戸幸司、といえば、かつて80年代のバンド女子を賑わせた、
楠本まきの漫画『KISSxxxx』のモデルになった程、
端正で美しい顔立ちである。別名サイケ王子。

30年経過したが相変わらずの痩せ太郎。
当然老けるもののステージ上は依然美しいままである。恐ろしい。
付合うて15年以上の月日が経つが、
何かのツボにはまったのか、『可愛い』と云い続けてくれる。
この年頃になると好意を超え、既に有難い域に達した。

人は持ち合わせないものに憧れを抱くのか。
美しく大きな目鼻立ちを生まれ持つと、
じょぼくれたパーツが珍しいのかもしれん。

そういえば昔から目鼻立ちがしっかりした人間に
好かれる事が多かったかもしれん。
人間とは、んまあ不思議なものである。

嘘でも煽てでもなんにせよ。
『可愛い』という言葉は女にとって「女でいさせる」
最大限の褒め言葉かもしれん。と最近思うのである。

たった一言で御機嫌よう働く安い生き物やないか。
騙されんわよ、という年頃は過ぎ去った。
只管有難い御年頃なのである。

殿方よ。
女性を讃えよ。


















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速攻。2016春。

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早ないか....
気が付けば夕凪21周年のイベントは終了。
きゃっきゃ云うて12月に締めのライブを大阪で行い、
わーわー云うて師走から年明け。
うおおお、一月も唄わねばならん、と急遽ソロのライブをぶち込み、
無事終了し、毎年繰り返す正月ミッション、今宮戎で全行程終了。
ぎゃっぎゃ云うとる、という始末。

同じ過程を繰り返す予定の行程が立てられるが1月から始まっている。
既にレインボーヒルの交渉、7月のムジカジャポニカ周年月間ブッキング、
夕凪の一年間に着手。

今年は同じ行程にムジカジャポニカ10周年イベントが加わる。
場所は別で行うが、結構壮大な計画となる。
レインボーヒルも同じだが失敗すれば、大層な金額のダメージ。
現実的に頑張らねばならんのは必須である。
秋頃の話だが、この寒波の中、話は煮詰められていくのであった。
頭の中に『アリとキリギリス』の話が浮かぶ。
同時に『やぎさんゆうびん』というループ童謡が浮かぶ。

白やぎさんからお手紙着いた
黒やぎさんたら読まずに食べた
仕方がないのでお手紙書いた
さっきの手紙のご用事なあに

黒やぎさんからお手紙着いた
白やぎさんたら読まずに食べた
仕方がないのでお手紙書いた
さっきの手紙のご用事なあに

以下無限に続く

怖い、怖過ぎる。
全てのブッキングが穏便にスムーズに施される訳では無い。
ブッキングとは戦いである。

消耗。

そんな事を云うてる間に、
夕凪の2016初ライブの東名阪ツアー、春一番が来て、全行程が来るのだろうか。
肌と体力だけは確実に衰える恐ろしい日々速攻。

正月レアキャラという事にて両親に接待して戴き、
無駄に胃だけデカくなってしもうた。
もうあかん。
何を食べても美味しいかもしれん。
忙しさ=肥えるという事は最悪のシナリオでもある。

…年明け一番に切なくなったところで、容赦なく時は過ぎ行くのである。

2月。夕凪は久しぶりの東名阪ツアー、二日間をギターパンダと過ごし、
一日を柳原陽一郎に愛していただく。

何故かタテタカコに誘われ、伊藤せい子ソロが沖縄にてある。
なんくるないさあ。

2016混沌。

ライブの詳細はコチラ→夕凪ホームページ

※ムジカジャポニカ三代目相棒。しゃきちょんと恒例の今宮戎。
大阪人にとって、えべっさんは大切な恒例儀式である。
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『クラウディスカイから夕凪へ、の巻き』

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17歳でバンドを組んだ。初めてのバンドは『クラウディスカイ』と云う。
バンドとは何ぞや。本当は文字で生きたいと思っていた。
文字で生きるのが難しそうなので『唄』を選んだのである。
詩を乗せて『唄』になるなら、と、楽器を弾かなくて良い、
という単純明快な選び方である。

当時は曲を作るのはバンドの作業だと思っていた。
セッションを繰り返し唄が乗りそうなリフをとどめて、
『詩』を頭に浮かんだメロディに乗せると、あら不思議、曲になる。
初めて自分の居場所が出来た。
それが『クラウディスカイ』だったのである。

名前は辞書でたまたまでてきた「くもり空」だったが
「邪魔者のいない空」という意味があるという。惹かれて付けた。
後に大沢誉志幸がやっていたバンド名と聞くが、
その時は知らなかった。

自分の心内を言葉で晒したい10代。
素直に表すのも嫌だ。解らぬように比喩表現の鬼と化す。
叫んでいるのは『こんなにも傷がある』『誰にもわからない』
の類いであった。今考えると然程『傷』といっても、
人生を左右しないような痛みが、当時は重大なものであったのだ。
心の闇も生きる糧、そんな唄しか唄えなかった。

今一番嫌いなタイブの女である。

何故嫌いかと云うと、その頃の甘えた考えが手に取るように解るからである。
実際、自分が動かしてるつもりで何一つしない。できない。やりもしない。
当然メンバーを入れ替え7年近く続いたバンドは終わってしまう。

その頃、東京に行こうとしていた。東京なら迎えてくれる場所があると云う。
「音楽」はまだ解らない。『唄』は続けたい。
行こうとして現実を見つめたら何一つ満足に出来ない事にようやく気付く。

いかん。このままでは何も活かされんまま終了する。

恥を忍んで東京行きを辞め、大阪でバンドを結成する。
紆余曲折「音楽」がやりたい、という事を知る。
大阪に居ながら、どこでも通じる音楽をやろう。
『夕凪』は大阪、港区の地名である。大阪の地名なら、
実は何でも良かったのだ。響きが良かったので『夕凪』にした。

この音が好きだ、というメンバーを集めて、
何も無いところから始めた。
クラウディスカイのように、適当にセッションすれば曲は生まれる、
とまだ思い込んでいた。
やはり自分から発信する事を他人任せにしていたのである。

それは『夕凪』では通用しなかった。
クラウディスカイで甘やかされてたのが露出。
格好の悪い日々。
しかし丁度メジャーの話が浮上し、解らぬまま自転車操業で、
「曲を作る」作業に没頭した日々でもある。
バンドの音楽など解らない。
デビューアルバムは全曲がバラつく散々なものに仕上がった。

文字で生きたい、そう願っていた筈なのに、
『詩』というものに向き合うことが出来なかった。
自分を投影する言葉が見つからなかったのだ。
若い時のように、がむしゃらに「傷」を見せたい訳でなく、
人生に悲観する事もなくなった。

そしたら言葉が見つからない。

見つからないまま『夕凪』の音楽は5年を過ぎた頃、
ようやく定まって来た。やりたい音とメンバーの音が合致してきた。
生まれも育ちも好みの音楽も違う人達と作る音楽。
こういう「音楽」がやりたかったのだと。

曲やメロディは辿り着いたが、相応しい「言葉」が足りない。

一度は放棄してインストを増やしたりしたが、
その間、色んな優しいひとに出会った。
色んな人生を経て、言葉を選んだひとが、優しい「唄」を唄う。
尊敬する人たちが、メンバーが奏でる音楽が、
言葉を与えて、私を『唄』に戻らせた。

足りないものに絶叫してる私が好きだと。
『クラウディスカイ』を知ってる友達に云われた。
実は結構云われる事でもある。

安穏としていた若さの滑稽さに勝つものはないが、
今が満ち足りてる訳ではない。

音楽に向き合って辿り着いた現在である。
まだ欲しいものは沢山ある。欲望は10代から変わらない。

叫ばなくてもよい方法を知ったのだ。

『夕凪』21年経過。まだ途中。















プロフィール

seponyuunagi

Author:seponyuunagi
夕凪というバンドにて
曲を作ったり唄をうたったり、
踊ったり叩いたり、
ぶーたれたり
きゃっきゃ担当の御年頃。
御機嫌さんは
旨い御飯と酒がある処。
夕凪web>>

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